北鎌尾根と健康寿命
北鎌尾根(槍ヶ岳)の素晴らしさは、山岳部の先輩から何度も聞いていたが、タイミングが合わず今日まで登る機会に恵まれなかった。
今回、挑戦しなければいけないと思ったのは、先日、前期高齢者(65歳)の通知が届いたからだ。高齢者の仲間入りすることで、今まで健康に過ごすことができたことに感謝するとともに、山に登れる時間が限られてきたことを感じた。
日本人の平均寿命は、男性80歳、女性87歳で世界一だが、健康寿命は約10年少なく70歳と76歳になる。
健康寿命が残り5年になった私は、来年とか、其のうちとか言っていたら健康寿命の70歳に達してしまうので早速、北鎌尾根の計画書を作り始めた。
北鎌は、総合的な判断力と体力がなければ苦労することは解っていたが、何より心配なのは天候だ。逃げ場のない北鎌尾根で落雷の歓迎にあったらと思うと不安がいっぱいだ。
上高地に着くと観光客と登山者のアンバランスなファッションが面白い。
若いころなら、一日で北鎌沢の出会いまで行くのだろうが、前期高齢者は、残された登山人生を謳歌するため敢えてババ平でテントを張る。
翌朝、ババ平を4時出発。水俣乗越しから、独標、天狗の腰掛を展望すると「お前に登れるのか?」と言われているかのように北鎌尾根が勇壮にそびえ立つ。
北鎌沢出会いに下ろうとすると、東鎌尾根縦走者が「登山道から外れてどこを登るのだろう」と囁いているのが聞こえた。随行者が北鎌尾根の説明をしたら、レベルが違うと驚いているようだった。
北鎌沢出会いから、コルをみると意外と簡単に登れそうで安心したら、予定した時間の倍以上を要した。原因は、私のシャリバテ。遅れている私を県警のヘリコプターが心配そうにホバーリングしながら見守ってくれた。また、左股沢に迷い込んだ登山者にヘリの拡声器で遭難の危険性を促し戻るように指示を出していた。
貴重な税金を個人の不注意で使わせてしまったことに対して反省した。
天狗の腰掛手前でテントを張る。明日の活力を得るために元気(梅酒)を補給した。順調に飲めるし、食べることができるし、沢水を充分に背負い上げたので明日の心配はなさそうだ。
翌朝、2リッターの水を水筒に詰めたが、余ったのでオダマキにプレゼントしたら紫色が一段と冴えて見えた。
空が明るんできたころ天狗の腰掛に取りつく。独標は右にトラバースしながら進む。トラバースルートは、取りついてみると問題なく通過できた。
ロープを出すところもなく絶景の中を体力勝負で北鎌平まで到着した。
石川五右衛門も「絶景かな、絶景かな」と言ったそうだが、絶景という言葉は北鎌尾根のためにあると思う。
振り返ると、トラバースより稜線主体のほうが安全なようだ。
視界が悪い場合は、ルート選択が厳しいかもしれない。
「水をいくら飲んでも喉の渇きがとれない」と質問されたので緊張感で喉が渇くので肩の小屋にいけば治まると教えたが、私も喉の渇きが癒えない。
槍の穂先に顔を出すと、観光客のような登山者から盛大な拍手で迎えられるそうだ。ラストで登った私の場合は、拍手もなければ誰からも無視された。
私の顔を見て質問がきた。「失礼ですけど、何歳ですか?」と言われたので「孫が6人います」と言ったら驚いていた。
健康寿命が残り5年の前期高齢者にしては眩しく輝いていたと思う。
槍の肩の小屋で、自動販売機から炭酸飲料を購入して乾杯した。北鎌尾根では水の残量を計算しながら飲んでいたのに、ここでは3000メートルの山小屋の自販機から好きなものを好きなだけ購入できる。
どちらの世界が幸せなのか解らないが、両方の世界を上手く活用した方が、幸せが二倍になるかもしれない。
緊張感が無くなった登山道は気合が入らない。だらだらと、槍を背中にババ平に向かう。
ババ平でテントを張り、安全登山に徹した仲間に感謝するとともに、13時間岩稜を歩いた元気な前期高齢者2人と、いつも笑顔を絶やさない宮下君に乾杯した。
乾杯の後に、北鎌尾根にまた来たいか尋ねると二人は首を横に振った。
Me too.
でも、健康寿命のことを考えると話は別だ。
健康寿命を、少しでも伸ばすことが我々団塊の世代に与えられた使命と思う。その使命達成のために北鎌尾根にもう一度登らなくてはならない。
次回は、独標の岩場に咲くオダマキの花と話がしてみたい。